Column

コラム

Jan 01, 2024

「おせちの思い出」

この季節になると、ふとあるものを見て過去のことを思い出してしまうんですよね。

そんなあるものとは、「おせち」で。

子どもの頃。

小学生ぐらいまで遡るのですがね。

当時、祖父母が「おせち」を用意してくれてまして…。

ただ振り返ってみると、当時は「おせち」を「おせち」として頂いたことはなく、

伊達巻きとか、栗とか。

甘いものがメインだったなあ…と常々。

その中で「おせち」で蘇る思い出は、何よりも祖父との時間。

祖父が、縁起物について話してくれていたことは特に印象に残っています。

勉強になる話をしてくれていたんですが…。

幼いながら、何に使うわけでもないのに。

祖父の話が終わったら、お年玉がもらえると理解していましてね。

今、思い出されるのは話している祖父の姿形ではっきりと内容まで覚えてないんですよ。

だんだんと年齢を重ねていって。

覚えておけば良かったなあなんて、「おせち」のチラシとかを見るたび思い出すんです。

「縁起物」として伝えられている意味は同じかもしれませんが…。

祖父の口が教えてくれることは、唯一無二だったと思いますから。

時間が進んで、そうした年上のお話しの大切さも知って。

そのため、この時期になると必ず思い出して、もう忘れることはなくなってしまったんですね。

…まあとはいっても。

タイムスリップして、幼い頃の自分に、

「おじいちゃんの話を聞いてー!」

と言ってもしかたがないだろうと振り返ると思いますから仕方ないんですがね。

学校で言うところの校長先生の朝礼みたいな感覚でいたのではないかなと…(笑)

ただ、その反面。

例年とは違う感情も出てきたんです。

いつまでも幼い時の過去の反省をしていたら、後悔になってしまうと感じて。

きっと祖父はそんなこと望んでないとも思いますから。

今はもう自分の一つの「引き出し」として、取っておこうと思ったんです。

なので、今回がこうして反省をする最後の機会にしようと。

そう決めたら、気持ちも軽くなった気がして、せっかくなのでお話しさせてもらおうと思いました。

今までは、「おせち」を頂ける機会があっても。

思い出が記憶にあるなかで頂くということに。

感謝の気持ちはありつつも、もどかしさが思い出されて。

「縁起物」を頂いているのに…こう…どこか不思議な感覚があったんです。

なんとも言葉では言い表しにくさがあり…、

良いことをするために何かを犠牲にする。

誰かのためを想う嘘。

そのような感覚に近かったかもしれませんね(笑)

やはり、思い出は良い形でしまっておきたいなあと。

今はそう常々、感じますね。

これからは、感謝をして、縁起を感じ、後味を良くしていこうと思います。

「おせち」の縁起物に合わせて、何かお伝えできることもあるかなと思いましたが、

パッとは出てこず、まだまだ勉強不足ですね…。

私もこれから、祖父のように学んでいかねば。

すでに予約が間に合うか分かりませんが、少しばかり今の「おせち」を調査してみようかと思います。

では、ここまでお付き合いくださりありがとうございました。