Column
コラム
「あの感覚、どこに置いてきた?」
一人お風呂場で頭を洗っていて、泡が目に入らないようギュッと目をつむる。
そんな時、次に目を開いたらそこに知らない誰かがいそうな気がする…。
もう洗い流さなきゃ、とおそるおそるこわばる瞼を開くと
「…っあー良かった、誰もいない!」
本当ならおびえる根拠もないのに怖いと思ってしまうこうした感覚。
気にならなくなったのは、いつ頃からだろう。
他にも合唱や校歌を大勢の前で歌わなければならない場面。
周囲に紛れるようにボソボソと話すみたいにか細〜く歌っていたのに、
今や下手な声をはりあげてカラオケルームで堂々と振る舞っている自分がいたりします。
こうした変化も、いつ頃からだったろう。
そんなもう忘れてしまった初々しい(?)気持ちたち。
あなたにもお心あたりはありませんか。
そんな思い出を一つ二つと刻んで、脱皮していくのが大人♪
なんて思っていたある日。
打ち合せの場でふとした合間にこの話をしてみたところ。
「あー私も分かりますよ」と頷いてくれたのは一回り下の後輩女性。
けど大人でもそういう感覚の人はいますし、
むしろそれが「クリエイティブの源」みたいなものじゃないんですか、と。
…逆にいうと、今そうじゃない自分ってクリエイティブが足りないってことかい?
などと心の中でツッコミつつ、改めて昔の自分を振り返れば、
確かに毎日いろんな「初めまして」な刺激があって。
感情もむき出しにして、とにかく必死で…。
何かにつけ今の自分ってダサいなーなどと思っていた幼いあの頃。
でもそれはそれで、心も体も充実していたような気がしてきてしまう。
今…私はそんなパワーが無性に欲しくなることがあるんです。
もしも彼女がいうところの「クリエイティブの源」とやら。
それを忘れずにいられたならば、
子どもの頃の自分もアッと驚くようなキレキレ、イケイケなキャラになっていたのだろうか?
でも待てよ、と。
クリエイティブな人はみな、毎日あのような恐怖とバスルームの中で闘っているのか。
人前では意地でも歌わない、とかそういう姿勢を貫いてるのか。
そんなわけない、と首を振りつつ。
でも実際そういう人がいたら、今の私は猛烈に憧れてしまいそう。
尊敬するあの人や先輩はどうなんだろう、ちょっと聞いてみたいけど聞きにくい。
いつの間にか、そしてどこかに置いてきてしまったこうした感覚。
それは成長なのか、それとも…。
あなたはどう思いますか?
これからも頭を洗うたび、違う意味で怖い思いをしそうですが。
ふと、こうは考えられないか、と。
そう。
「怖くないと思ってしまうことを怖がる」
そこに新たな「クリエイティブの源」があるじゃないか!
湧き上がってくる、目の前にないものをイメージして、求める気持ち。
それは幼いころの体験と実は同じ。
一周まわって自分は変わっていなかったことに気付き、
不思議なガッツポーズを決めたのは、ちょうどこのコラムを書き上げたタイミングでした。笑
…秋めいていく夕暮れの最中。
季節は早いものでいよいよ11月です。
今日もクリエイティブの源泉を探して、東へ西へ…!
当コラムをお読みくださりありがとうございます。