Column
コラム
「ハッピーエンドのその先へ」
誰もが知るお姫様の物語。
財に恵まれていく冒険譚。
昨日の敵が今日の友となる。
そんな幼いころに聞いたようなハッピーエンドの代名詞。
こちらをお読みの皆さんも、童話だったり寓話だったり、なんとなくアレかなと思いあたりおありでしょうか。
こんな自分でも昔は憧れました。
相思相愛のお相手と、幸せなちっすをして壮大なBGMで締めくくられていく瞬間に。
(今時ちっすなんて言わないのだろうけども)
満身創痍に近い状態になりながら、自分の信念に従って辿り着いた先にある確かな結果に。
なんなら今だってそうですよ。
そういう瞬間、大いに歓迎、てな具合に。
でもある日、想像しちゃったんですよね。
あの恋愛ドラマに仮に後日談があったとしたら。
ヒーローヒロインは、やがてそれぞれの悪い部分、我慢できない部分が浮上して大ゲンカ。
いわゆる負けヒロインは、それがきっかけに精神的に傷付き、悪い男に引っかかり。
親友ポジションはいつまでもそこにいられない、仕事やらなんやらで遠く離れて、数年に一度程度の連絡になっていく。
結局、我々がみているハッピーエンドって一時的なもので。
どんなに盛大な音楽で飾っても、周囲の祝福の一幕となっても。
その先までハッピーでい続けることはなかなか難しい。
いやまあ、言葉にするとその通りで、それ以上も以下もないんですけれど…。
私も学生時代。
志望してた高校に合格するために、人に胸張ってそう言えるくらいには勉強しました。
担任の先生からは、今の成績的にもう少しレベルを下げた方がというアドバイスがあり。
そんなことを三者面談言うもんだから、当然親だって心配しますよね。
でも自分が定めた目標がそこにあって、すこしずつでもそれに近づいている実感もあった。
実際に入試の手ごたえもばっちりで、迎えた合格発表当日。
合格者欄に自分の受験番号を見つけた時には柄にもなくガッツポーズが出たもんですよ。
どんなに手ごたえはあっても、絶対的な不安は消えはしませんからね。
これが一つのドラマなら。
心臓が高鳴る効果音から、一瞬の無音を挟んで盛大なBGMが流れ出し。
一緒に合格した仲間と抱き合いながら、エンディングのスタッフロールが流れていき、完!となる。
でも実はこれ、第一部。
ハッピーエンドを迎えたと思いきや、早くも第二部開幕…。
いや、第三部、四部と続いて今に至るわけですが。
ハッピーエンド風のとぅびぃこんてぃにゅーが続き、気付けばいい大人となった私。
ハッピーエンドは本当にハッピーなのか?
って疑問はあれど、それでもそのハッピーな瞬間を諦めないし、今もそれを願っているのは。
そのハッピーさ加減に、大きな価値を持っているからに他ならないからなんだろうなあ、と。
そんな事を考えてしまう自分がこちらの所属に至ったのも、思えば何やら必然だったようにも思えます。
まずはそんなハッピーな一瞬を。
叶う事なら、そんな一瞬が続きますよう。
いや、そんな都合のいい事なかなかないわけですけども。
でもですよ?
第一部、第二部、第三部と章立てたような波の中で幾つもの物語を演じるのが人生ならば。
ドラマや映画と違って、ハッピーエンドに近い、ハッピーな瞬間を何度も迎えられるのが人生なんじゃあないかなとも思うわけで。
たぶんそれって。
すごくハッピーなことなんです、たぶん。
何度だって頑張って、そのたびに折れ曲がって、復活して。
そこに挑む価値が人生にはある。
ほら、ヘミングウェイも言ってるじゃないですか。
『この世は素晴らしい。戦う価値がある。』
って。
ああでも。
どれほど異なる物語であっても。
それが毎度異なる結末でも。
物語の帰結がハッピーなものであるなら。
自分の頭の中ではいつだって好きなBGMが流れてるように思います。
こちらをお目通しの“ある物語の主人公”である皆さんは、どうですか?