Column
コラム
「意外と役に立っているあの時の経験」
八月が終わりました。
大人になって(学校を卒業して)から久しぶりに「夏休みの宿題というものがあったな」と、今ふと思い出しました。
皆さんはどういうタイプでしたでしょう?
先に終わらせるタイプだったでしょうか。
それとも後で一気に…?
今だからこそ、学校側、教える側の視点で考えることもできますし。
一か月以上という時間を学業から離れるわけですから、その間に勉強を忘れてほしくないという意図も理解できます。
まとまった時間もとれるため、自由研究などを進めるにももってこいの時間。
けれど当時の自分自身を振り返るとこれがもう重荷も重荷…!
特に私は、夏休みの宿題限定でコツコツ進めるということができなかったものですから。
「沢山遊んで、沢山運動して、色んなところに行くのが夏休みだろ?」
と、これがもう堂々とですね、そんなことを思い続けていたタイプだったのです。
いやはやお恥ずかしいったりゃりゃしません。
宿題を提出する最初の授業に合わせ、九月に入ってから手を付け始めるなんて芸当もお手の物。
勿論、親からは「やらなければならないことを後回しにするな」としつこいくらい注意されたものです。
それでもテコでも動かないのが、若気の至りというかなんというか。
一方で、毎日コツコツ進められる人を凄いなと思ってもいまして。
一日少しずつでも進めていけたなら、毎日の遊ぶ時間は確保しつつ、最終日に時間に追われることもない。
そりゃもう、コツコツやった方がいいでしょうって話なわけです。
けれどいざやろうとすると「明日やればいいや」「後でまとめてやればいいや」という誘惑に負けてしまう。
いえ。
誘惑に負けるではなく、後でまとめてできるなら今やる必要がない、と。
それらしい理由をつけてたような。
そんな気がします。
(今にして思えば、打算的な思考能力を身に着けるきっかけになったのが夏休みの宿題な気がしないでもないですが…!笑)
戻りまして現代。
お仕事は毎日コツコツ進めるたり、一定の時間に集中して行うこともあります。
合間に趣味なんかに興じて、後回しにして諸々をまとめて行うこともあります。
やってる内容こそ全く異なりますが、考え方そのものはあまり変わっていないのかもしれないのではと思いました。
コツコツ進めていくことにもメリットがあり。
それとは逆に、集中的に取り組むことにも当然メリットはある。
それらを取捨選択し、自分にとって、あるいは会社・集団にとっての最善を導く。
そこまで意図に含まれているかは分かりませんが、夏休みの宿題は確かに自分の糧になっていたんだなと。
そんなことをですね、ふと今になってみれば思うわけです。
こちらをお読みの皆さんはどうでしょう?
後になって、
(ああ…思えばそういうことだったのかな…?)
と思える学びの経験、ありますでしょうか。
かくいう私は以上の通り。
…なんですが、ちなみに言うと今仕事に追われながらこれ、書いています。
学ぶって、難しいですね皆さん…!!