Column

コラム

Jul 18, 2020

「コラムをやってみようと思う!」

「コラムをやってみようと思う!」

ほうほう、それは僕もみてみたいですね!

と他人事のように返事をしていたのだけれど。

まさかの一本目にお呼ばれしたのはわたくしスピリチュアルカウンセラーの笠。

何事も当事者意識は大事だなあ。

 

念の為自己紹介をしておくと、世間的にはつまるところ占いを生業にしている一人です。

生業というか、占いは生き方だと思う!

と個人的には考えているのだけれど、まあそれはいいとして。

数奇なご縁から当コンテンツの監修をさせて頂いて、これまた数奇なご縁からこちらのコンテンツで紀行ブログもちょこちょこ。

更に数奇は巡り、こそっとテレビやラジオなんかに出たりしたりしてみています。

何事もご縁は大事だなあ。

 

そういうわけでの当コラムの一発目。

 

せっかく占いやってるわけなので、現場の覗き穴になるようなお話が出来たらと思う。

 

占いを生業にしているわけだから、当然日頃はご相談を伺う日常が続くわけで。

それはもう季節問わず。

ほら、占いは生き方ですからね!

 

春には春らしいご相談があり、

夏には夏らしいご相談がある。

占い師という仕事をしていると、ふと伺うご相談の内容に小さな季節を見つけることがあるのだ。

それが今年はというと、あまり春らしくなかったし、夏が近いんだなという風でもなかった。

 

春でもなく夏でもない何かがやってきて、

勝手知ったる色を全く別の、底知れぬ何かが塗り替えてしまったように思えた。

 

けれどもそれが物悲しいとか鬱々としているとかそういうことはなく、

もちろん皆が皆懸命なのだけれど“なんとか生きよう”という、そうした息遣いをたくさん見たように思う。

 

不思議なもので、体はなんとか生きようとする。

何を食べてても、惰眠にかまけてさっぱり運動らしい運動をしていなくても、それならそれでと工夫するように命はちゃんと動いてる。

心もそれと同じで、なんとかよく生きようとしたり、例えば幸せになろうと懸命になり、だからこそ苦しいことを苦しいと感じられる。

産みの苦しみとよく言うけれど、そうした産みの苦しみのようなものをたくさんみた季節だったし、それは現在進行形でそう。

 

なんとかここから抜け出して行こうとする息遣いは本当に苦しいのだけれど、

失った季節分蓄えてきた何かが、皆にとって産まれた喜びにいずれ変わってくれたらと願わずにはいられない。

 

よりよく生きる為の工夫の結果として占いというものを遺してきた先人たちなら、

今の世の中にどうこの占いを活かしただろう?

 

そんなことをふと思うのだけれど、一つ個人的に確かだなと思えるのは、

春でもなく夏でもなく、今僕たちが生きているのは“いのちの季節”なんじゃないかということで。

 

何とか変わっていこうとするその息遣いを、喜びの息吹に変える、そんなお手伝いをさせて頂けたらと思う笠‐Ryu‐の今日この頃。

そしてここまで書いて、大きく予定の文字数を超えたことに気付いた。

コラム、こんな感じ大丈夫ですかね…?

 

笠‐Ryu‐